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東京高等裁判所 昭和51年(行ケ)142号 判決

一 称呼の類否について

(一) 本件商標から「ニコシン」の称呼が生じ、引用商標から「ニコリン」の称呼が生ずることは当事者間に争いがないから、両者は共に四音からなり、そのうちの第三音である「シ」と「リ」のみの差異を有するものである。

原告は、この相違点である「シ」と「リ」によつては両商標を称呼上明確に区別しがたいと主張するので検討する。

1 原告の主張(一)1について

成立に争いのない甲第八号証の一ないし三(佐久間鼎著「標準日本語の発音・アクセント」)、乙第四号証の一ないし三(高津春繁著「言語学概論」)、第五号証の一ないし四(大西雅雄著「音声表記法」)、第二五号証の一ないし四(佐久間鼎著「増補版標準日本語の発音・アクセント」)、第三二号証の一ないし四(「岩波講座日本語5音韻」)を総合すると次のように認められる。

日本語の「シ」は、子音「<省略>」と母音「i」とが、結合してなる音であり、その子音「<省略>」は、無声音で、調音の仕方は摩擦音であり、調音域は、硬口蓋と前舌である。これに対し日本語の「リ」は、子音「<省略>」と母音「i」とが結合してなる音であり、その子音「<省略>」は、有声音で、調音の仕方は流音であり、調音域は歯茎と舌尖である。

右事実によれば、「<省略>」と「<省略>」とは、声の有無、調音の仕方、調音域のいずれにおいても全く異なつた子音であり、かかる子音「<省略>」と「<省略>」に母音「i」が結合してなる「シ」と「リ」は、その音質を明らかに異にする音であるということができる。

なお成立に争いのない甲第二〇四号証の一、二(日本音声学会編「音声学大辞典」)では、「<省略>」を「<省略>」と同じく「歯茎音」として分類していることが認められるが、これは「<省略>」音が「硬口蓋歯茎音」(前記乙第三二号証の三による)あるいは「奥歯茎音」(前記乙第五号証の二による)の名称で分類されることもあるために、極めて広義の歯茎音として分類したものと解するのが相当であるから、「シ」と「リ」が音質を異にする音であるという右の結論を左右するものではない。原告の主張は、右の広義の調音域で「<省略>」と「<省略>」が一致することのみを根拠として、「シ」と「リ」が類似音とするものであつて、失当であり採用できない。

2 原告の主張(一)2について

原告は、両商標の接尾語「シン」、「リン」は慣用されている接尾語であるから、「ニコ」から強い印象を受ける旨を主張する。

ところで、成立に争いのない乙第三号証の一ないし三、第一二ないし第一四号証、第一八ないし第二一号証の各一、二、第二二号証の一ないし三、第二三、二四号証の各一、二を総合すると、本件商標の登録査定時である昭和四五年までに、第一類における「ニコ○○」形式の商標には、ニコアゾリン、ニコアチン、ニコキサチン、ニコサミン、ニコシニツト、ニコシネート、ニコセチン、ニコステル、ニコゾール、ニコチネート、ニコチノイルアミドアンチピリン、ニコチノトール、ニコチノイル、ニコチン酸、ニコチン酸アミド、ニコデルミン、ニコトラン、ニコトール、ニコピリン、ニコヘキサン、ニコポリジン、ニコマイド、ニコリタシツト、ニコルミン、ニコチツド、ニコホン、ニコン、ニコシトール、ニコアンチ、等多数存在し、これらが現実に流通している商品の商標として使用されていたことが認められる。なお、たばこの成分名としてのニコチンは周知である。してみれば、他に特段の事情の認められない以上、第一類の商品の取引者、需要者は、本件商標の出願前後を通じ「ニコ○○」形式の商標に接する場合には、「ニコ」の部分から特定の商標を識別するに足りる強い印象を受けることなどなく(したがつて、「ニコ」以外の部分を「ニコ」の部分と切り離して接尾語として意識することもなく)、かえつて全体を不可分一体のものとして把握し、自他商品の識別をしていたものと推認することができる。したがつて第一類の取引者、需要者が本件商標および引用商標の「ニコ」の部分から、強い印象を受けるという原告の主張は理由がない。また、右「ニコ」の部分から、原告の主張(三)で述べられているような「ニコニコ」等の観念を連想するというようなことは、独自の発想にすぎないことは、後記三のとおりである。

3 原告の主張(一)3について

商標法四条一項一一号の商標の類否判断は、当該指定商品に関する平均人たる一般の取引者、需要者が誤認混同するかどうかという見地からしなければならない。このことは、具体的な事情下における誤認混同に関する同項一五号の規定との対比上からも明らかである。そして、商標が、その指定商品の平均人たる一般の取引者、需要者にまで著名とみられる場合には、それが先入観ないし強い印象となり、その者がそれにひきずられて商標の誤認混同を生ずる契機となる場合のあることは否定できない。ところが、本件で原告が主張しているのは、第一類の取引者、需要者の一部たる医薬品業者とか医師、薬剤師の間における引用商標の著名性であるところ、これらの者は医薬品の取引に相当の注意力を有するとみられる専門家ないし専門業者であるし、他方一般の取引者、需要者の多数にとつては、右限度の著名性のゆえに、本件商標(指定商品は第一類全般である。)と引用商標を誤認混同することはありえない理であるから、本件審決で問題としている商標法四条一項一一号の類否判断においては、原告の右主張はそれ自体理由がないというべきである。

してみれば、引用商標の著名性および、右「ニコ」の部分から生ずる観念のあることを前提として、取引の際本件商標が自然に称呼されたとき、あたかも引用商標の如く聞き間違える恐れがあるとする原告の主張は前提自体が失当であるから、採用の限りでない。

(二) 以上検討したところによれば、本件商標と引用商標の称呼上の相違点である「シ」と「リ」によつて両商標を明確に区別しがたいとする原告の主張の根拠は、すべて理由のないことが明らかである。

二 外観の類否について

(一) 本件商標と引用商標の構成は前記第二、三のとおりであるから、両者は全体的構成を対比すると外観上類似していないことは明らかである。

(二) 原告は、引用商標の構成の一部である片仮名文字部分の「ニコリン」と本件商標の構成を比較して外観上の類否を論じなければならないと主張し、その根拠として、医薬品を指定商品とする欧文字と片仮名文字の二段書き登録商標を薬剤の容器包装に付する場合に、欧文字と片仮名文字を分離して表示することが多いこと、および医師の処方箋の記載の仕方の実情を挙げている。しかしながら、商標法四条一項一一号における外観上の類否判断は、登録商標の全体的構成に対する観察によるべきであつて、これを抜きにして、単に構成要素の一部分のみを切り離した部分観察によるべきではない。このことは、その構成要素の一部分はあくまで一部分であつて、当該登録商標そのものではないことからの当然の帰結である。したがつて、たとえ原告主張のような容器包装における分離表示が現実に行なわれていたとしても、それを商標の外観上の類否判断の規準とすることはできない。なお医師の処方箋への記載は商品に用いられるべき商標の使用ではないし、調剤過誤のような事象は元来商標保護の制度外の問題であるから、商標の類否判断に当つて考慮されるべき事項でないことは多言を要しない。

してみれば、原告の右主張は前提自体既に失当であるから到底採用できない。

三 観念の類否について

第一類の取引者、需要者が、本件商標および引用商標の「ニコ」の部分から原告の主張(三)で述べられているような「ニコニコ」、「爽やか」等の観念を連想し、これを識別の指標とするというのは、それ自体納得しうる根拠がなく、原告独自の発想にすぎないと認められる。そして、両商標はいずれも特定の意味を持たない創造語であるから、ほかに観念の類似性を論ずる余地はなく、原告主張の引用商標の著名性が観念類似の問題を生じないことは、前記一(一)3の認定から明らかである。

四 結論

以上検討したところによれば、本件審決に原告主張の違法はないことに帰着するから、原告の本訴請求を棄却する。

〔編註〕本件に関する商標は左のとおりである。

別紙第一

<省略>

別紙第二

<省略>

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